好きだった先生たち

60年代に流行ったいい回しを借りると、世の中には2種類の教師がいる。  それは恩師と反面教師である。  私の両親は、私にとって明らかな反面教師だった。しかし長い人生の中で、自分の埋もれた能力に気付かせてくれたり、過った道に踏み入ろうとする時、正しい道に導いてくれるといった人たちもいる。それが人生にとっての恩師であろうと思う。  これらの方々は、そこから少し外れた所があったかも知れないが、私にとっては恩師であり、大好きな先生たちだった。

私の公立高岡町中学校時代の美術の先生は、川岸先生といった。生徒たちは川岸先生の事を“川岸のカッパ”と呼び恐れていた。頭頂がカッパの皿のように薄くなってしまっていたからだが、私にとっては怖いどころか温厚で、もの静かな先生だった。  美術でも特に木版画の指導に力を入れていて、木版画を刷るバレンを頭にこすりつけ、「こうすると頭の油が付きバレンがよく滑るがや」と目尻を下げお茶目にいいながら生徒たちを笑わせていた。  ある日の授業中に、他の教室の生徒たちが移動するため廊下でガヤガヤしていた。うるさいなぁと皆が思った途端、川岸先生が突然廊下へ飛び出し手当たり次第にその行列の生徒達を殴りつけた。無口なのに突然手が出る父を思い出し、その豹変ぶりに思わず身震いしたが、当時は血の気の多い男がたくさんいた。

金沢郵政局が催す年賀状版画コンクールに、川岸先生は生徒の作品を応募していた。私の作品も出してくれて1960年度の賞をいただき、副賞はバレンの形をした大きめのブロンズの文鎮で、先生の想い出として今も大事に持っている。  それ以来、川岸先生の影響で私は年賀状を決まって木版画で作るようになり、先生や友達に毎年郵送し続けていた。  ある日、「泉中学の美術の門田先生が北国書林のギャラリーで版画展をしてるから、見てくるこっちゃ」と川岸先生が教えてくれたので見に行った。  私はその作品を見るなり、その場に立ちつくしてしまった。薄墨色の美しく細かい木目を背景にした黒猫の絵があり、その渋い民芸的味わいの木版画に衝撃を受けたのだった。  このバックは手彫りではないな、と熱心に見ていた学生服の私に気がついた門田先生が笑顔で近づいてきて、「板の表面を焼き焦がしてから水洗いし、木目が浮き出した板を版として刷った背景ながや」と解説してくれた。

石川県立工業高等学校デザイン科を卒業する時の心残りに、担任の冨沢先生がご自分に繋がりのある大阪の美術学校へ進学するようにと、熱心に勧めて便宜を計らっていただいたが、関西も旧美術の温床に思えてお断りし、先生に申し訳のないことをしてしまった。  冨沢先生は、東京芸術大学を卒業された伝統的日本美術の権化であり、立派な人格者で茶道もして行儀作法などや細かいことにもうるさかった。  授業では日本の美意識のひとつである侘寂を重んじ、生徒が描く絵にもそれを徹底させ、原色に近い派手な色彩を使うことは生の色だと、善しとしなかった。  伝統工芸と古い歴史に凝り固まった金沢では、イラストレーターよりも画家、それも日本画家が優位とみなされる保守的な風土と、伝統しか認めない先生に私は反抗していたのだろう。  私はポスターカラーを混色し、微妙な低彩度の色ばかりで絵を描くようになり、まるで金沢の曇天のような作品ばかりになった。

そのような伝統的美術教育を受けていた高校生時代の1964年、金沢市南町にあった北国講堂で開催されたアニメーション・フェスティバルを見学に行った。  そこで久里洋二さん、柳原良平さん、真鍋博さん、手塚治虫さん、宇野亜喜良さん、横尾忠則さん、和田誠さん、井上洋介さんたちの現代的で個性的な映像作品を体験し、全身が総毛立つような感動を覚え、伝統画壇に縛られることのない新しい美術の世界を知った。そして、その都である東京へ私は絶対に行かなければならないと決心した。  その時に見た久里洋二さんの「男と女と犬」は、小さな男と独占欲の強い女性を鮮やかな原色の絵でコミカルに表現した風刺的作品で、宇野亜喜良さんの「白い祭り」は反対に無彩色で不安と憂鬱を独特な装飾的怪奇感覚で表現されていて、特に印象的なこれらのアニメーションを今も忘れることはできない。  このお二人には後年大変お世話になり、その作品からも影響を受け、その事も後々書きたいと思う。

高校を卒業しても、私を地元に置いておきたかった母は、「そんなに望むなら金沢美術工芸大学に受験したらいいがに」といってくれたが、それでは金沢の伝統に縛られっぱなしだと、何が何でも東京へ行きたかった私は東京芸術大学を受験した。  鉛筆デッサンの実技試験は楽勝だったのだが、学科の英語のヒアリング試験ではスピーカーから英語が流れてきて、文法や赤尾の豆単での英単語の暗記ばかりでヒアリング勉強などしてなかった私の頭の中は真っ白になってしまった。  受験の結果は、不合格だった。     当時は、全学連などの安保反対運動や三里塚闘争で騒然とした世相であったが、自分の生活の道を模索していた私にとっては、政治どころではない追い詰められた心理状態だった。  とにかくこのまま金沢へ戻りたくない一心で、当時は芸大の実技試験の予備校のようだった阿佐ヶ谷美術学園に入学してしまった。  初めの一年間の授業は、既に高校の実技で習ったことばかりで退屈だったが、全国から集まって来た方言まるだしの様々な若者たちに魅力を感じた。  上京して最初の住まいは父が学生援護会で探してくれた、中野の賄い付きの三畳一間の下宿屋だった。

この下宿屋は、一階に美容院をしている女主人とその息子が住み、二階は浪人生や学生など男ばかり4、5人の間借り人がいた。  朝食と夕食は、他の間借り人たちと一階の食堂で一緒に食べながら、沖縄から来ている人や茨城から来ている人などと、お互いの方言を交えて会話した。  私の部屋は二階の角部屋で、窓を開けると目の前に太い電柱が立っていた。深夜にスタンドの灯りを点けて課題を描いていると、ガラス窓にコツンと小石を投げつけられ、窓を開けると酔っ払った道楽息子が電柱をよじ登ってきて私の部屋に入ってくる。  門限過ぎて階下の入り口に鍵がかかっているからで、その男は私の部屋で色々と自分の馬鹿な遊びの成果を話してから、下の部屋へ降りて行った。  ある日、近くの銭湯に飾る美容院のポスターを一ヶ月の部屋代として描いてくれと女主人に頼まれた。「アイリス」という店名だったが、ケント紙を水張りしたパネルにポスターカラーで若い女の横顔のイラストを描き、店名をレタリングして金沢の頃の作風とはぜんぜん違った思い切りカラフルなポスターに仕上げ、女主人に喜ばれた。

阿佐ヶ谷美術学園の二年で、イラスト科とプロダクトデザイン科とタイポグラフィー科に分かれてしまったが、私はイラスト科で初めてヌードのクロッキーを体験した。その授業の日は他の科の生徒も興味本位で集まってきて、一緒に裸の女性をスケッチした。  その頃、学園の教員を務められていたグラフィックデザイナーの浅川演彦先生に大変お世話になった。  新宿で浅川先生と水割りを飲みながら、浅川先生からの下請け仕事の打ち合わせをしていた際の雑談で芸大受験の挫折を打ち明けると、「それはお前にとってはよかったのだぜ」といってくれた。  とっさに意味がわからなかった鈍感な私が聞き返すと、「どの大学にもいかなかったから、実力で仕事しなければならない今のお前があるわけさ」と答えてくれた。この逆説的なアドバイスは、私にとって大きな励みとなった。  当時は、九段坂下の絵島アトリエの下請け版下仕事や、浅川先生がデザイナーをしていたスタヂオ・ユニからの仕事など、学園の課題と仕事の両方をヒイヒイいいながらこなしていたのだが、挙句の果てに浅川先生は私に、「お前、学園やめてもいいぜ」と突然いってくれたものだ。

当時の浅川先生には、歌手の浅川マキに似た年上の彼女がいたが、当世風のカッコよさを絵にしたような先生で、穴開きジーンズにピースマークがプリントされたTシャツを着て、細い身体で足早に闊歩していた。  先生は、学園のめぼしい生徒数人にスタヂオ・ユニの仕事をさせていて、そのままスタヂオ・ユニに就職してしまった生徒もいた。そんなひとりに友達の矢島くんがいたが、酒豪の先生の相手をして酔ってしまい、帰りにプラットフォームで電車に巻き込まれ亡くなってしまった。  他の学園の友達に、一級上の女生徒と同棲していた男がいた。彼も先生に贔屓にされていたが、いつのまにか彼は学園を中退し、その男の彼女と浅川先生が結婚してしまっていた。  浅川先生とその彼女との間に生まれた女の子と男の子には、天体にちなんだ名前を名付けたと、先生はオン・ザ・ロックを飲みながら私を見つめ、得意そうにつぶやいた。  好きだった先生たちは、今はもうこの世にいない。

(つづく)

阿佐ヶ谷美術学園時代に描いた鉛筆画一部彩色 1967年「幻覚」

1967

1967,Copyright(C)2013 AoiFujimoto. All Rights Reserved.

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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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