家族が出来た!

最初の子供は、私が20歳の時に生まれた今でいう“授かり婚”だった。 同棲の流れで入籍だけで済まし、結婚式ができる状況ではなかった。 後年私の妹が結婚式をする際に父は、私たちの式も金沢で一緒にやらないかと勧めてくれたが、なぜか彼女が嫌がり私も今更という気持ちと、過去の親への確執からまだ抜けられず、断ってしまったので結婚式はやっていない。

阿佐美時代に上京してきた彼女と同棲することになり、それを反対した親に私は見離され生活苦で自殺未遂騒動を起こしたことから、彼女が自分の親に説得され金沢へ戻ってしまった。 そんな金沢の彼女から、しばらくして妊娠した内容の手紙をもらい、私に子供が出来たことを知った。 私は嬉しさを押さえながらも、他の学友と違い私には子供がいるんだ、と自覚した。 そこで阿佐美を中退して、彼女との生活を取り戻したい、と決心したのである。私の親の事は時間が解決すると思った。

当分は仕方がないので、彼女の実家で彼女の親にしばらく赤ん坊の世話をしてもらうことになり、彼女は金沢の孔版印刷会社に勤めていた。 しばらくして彼女だけが再び上京し、杉並の三角部屋から梅が丘の1DKのどれみは荘へ引越してから、子供を彼女の親が連れて来てくれた。 その1DKのアパートで初めて親子三人水入らずで暮らしていたが、若い彼女は精神的に意外と脆いところもあり、育児ノイローゼのために情緒不安定になった。 私が傍にいてサポートしなければならない危うさを感じ、この頃から私が家族といつも一緒にいなければと強く認識したのであった。

妻子がいることで特に仕事に影響はなかったが、生活では他の同年代の人達と違い、好き勝手な遊びや友達付き合いもせず、ひたすら生活のための仕事を模索し、阿佐美を中退したことで仕事の道へ専念できたのだった。 このとき生まれた長女には、私のように悲観して後退することなく、人生を力強く一歩一歩確実に前進できるようにと願って、歩と名付けた。

どれみは荘は、かぐや姫の神田川の歌詞のような銭湯通いだったが、そこの1DKとトイレ付きも手狭になった。 それで、経堂駅から馬事公苑と東京農業大学方面へ向かう途中の石和戸荘という、2DKにトイレとヒノキ風呂付のアパートへ転居し、そこで1972年に二人めの子供も生まれた。 このアパートも、彼女が不動産屋を駆け回り探し出したのだが、不動産屋の人が心配して、梅が丘のアパートと今度の経堂のアパートとでは家賃差がずいぶん高くなってしまうが大丈夫なのか、といったそうだ。  しかし、この当時はすでに単発の仕事の他に、『平凡パンチ』誌や『放送批評』誌の表紙イラストとデザイン、『話の特集』誌や『女性自身』誌などの安定した連載仕事をしていて、一家四人が何とか生きていける程度の収入はあった。

玄関の下駄箱の上には、熱帯魚の水槽と花を生けたブリキのバケツが置かれ、ダイニングキッチンは6畳で、白い冷蔵庫と白い食器棚と白いテーブルや椅子があり、もうひとつの6畳の部屋は仕事場に使い、本棚と仕事机とディレクターチェアーやウサギを飼うサークルなどを置き、その隣の4.5畳の部屋に折りたたみ式のセミダブルのベッドを置いて、押入れの中の棚下を子供のベッドとし、赤ん坊も生まれたので、セミダブルの脇にベビーベットを置いた。 タンスの上にはカナリヤとインコのふたつのトリカゴがあり、トイレの小窓から猫が外へ夜に出入りしていた。  部屋も広くなって嬉しかったが、仕事と生活が一緒のような生活だった。 初めての風呂付だったが、私は忙しくて風呂に入るとなぜか眠くなってしまい、夜に仕事ができなくなるので、一週間に一回か二回くらいしか風呂には入らなかった。

それにしても、家族を持つということは大変なことだと私は思っている。 子供が突然具合がわるくなっても、親が身近にいなければ直ぐに対処できない。どんなに仕事が忙しくても、常に傍にいて見守ることが必要だと痛感している。仕事も大事だが、私にとって家族とはそれ以上に大事な存在なのだ。 引越し魔かと友達にさげすまれたが、家族のために狭さのストレスを避け広い環境を求め、どんどん郊外へ転居して家も四度も買い替えた。 家族への愛。それが私を勤めることもなく、他に事務所を持つこともなく、自由業として自宅で家族を守りながら仕事をし続けてきた理由かもしれない。 そして、それは現在も私の原動力として心を支え、勇気を与えてくれている。

(つづく)

放送批評誌の表紙イラストとデザイン1972年

1972

1972,Copyright(C)2013 AoiFujimoto.All Rights Reserved.

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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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