「東西不思議物語」と澁澤さん

そんなある日、毎日新聞社から一本の電話がかかってきた。特集版編集長の福田淳さんだった。それは、小説家で仏文学者の澁澤龍彦さんのエッセイの新聞挿絵の依頼だった。  正直その時に私は、澁澤さんのことは何も知識がなく、勿論ご著書も読んでいなかったが、郵送されてくるコピー原稿を読みながら、その怪奇で不思議な世界へのめり込んでしまった。  私は、版下仕事で培った細密なペン画で一年間連載のイラストを描き続け、それがまとめられて後年単行本と文庫本として発行された。  また、その原画は銀座ギャラリー・デコールで「東西不思議物語」出版記念原画展として私の4回目の個展を開催していただき、その会場で初めて澁澤さんご夫妻にお会いした。

実は、お会いする以前に澁澤さんから若輩者の私に丁寧なご挨拶のハガキをいただいた。  「拝啓、このたび 御縁があって毎日新聞で御一緒することになりましたが、いつも丹念な美しいイラストを描いて下さって とても嬉しく思っています。とくに第二回目のやつは大へん気に入りました。今後ともよろしく。いずれ お目にかかってお話したいものですね。良いお年をお迎え下さい。敬具」と書かれた12月22日消印のハガキが、今も手元にある。

その後、澁澤さんから毎年賀状をいただいていた。昭和五十八年元旦の賀状には頌春と印刷された横に手書きで、「いよいよ世紀末の色濃く あやしい現象の起こりそうな予感がします ルンルン!」と少年のような朴訥とした筆跡でお茶目な言葉が手書きされていて、お名前の重厚なイメージと違った親しみやすいお人柄を感じた。  私の武蔵村山の住所宛だったが、転送されて青梅の家にパリから絵葉書をいただき、「今月の初めからパリに来ています。このあいだはスペインのフィゲラスのダリ美術を見てきました。まるでパノラマ館のように面白く、堪能しました。バルセロナのガウディやカタロニヤ美術館も、想像以上に堂々たるものでした。パリは薄ら寒く小雨が降っています。 6月17日 澁澤龍彦」と書かれてあり、これを再び読み返していると涙が溢れ、御葉書を涙で汚してしまった。

初対面の澁澤さんは、細身の小柄でパイプをふかしながら頭のてっぺんから出るような高いかすれ声で陽気に話され、対照的に奥様は落ち着いた雰囲気の方だった。  澁澤さんとその時どのような会話をしたのか、あの頃の私は若すぎて、ずいぶん昔のことで憶えていない。ただ、大変古い歴史的な出来事を昨日あったかのように話されて、記憶力抜群だなと感嘆した。  きっと読書で得た知識かもしれないが、私のように読んでも次々と忘れてしまう脳味噌でなく、読んだ事がスーパーコンピュータのように頭に全部蓄積されておられるのだろうと思った。  澁澤さんと編集者の福田さんも、特に何も私の絵について指示や注文などはなく自由に描かせていただいた。  私にとってはエポックメイキングな仕事になり、澁澤さんの文章が面白く、書かれている不思議な事柄を毎回楽しみにしながら描かせていただいた。

展覧会の時は、会場で澁澤さんが私の原画をお買い上げいただき、画廊の人が届けてくれるといってくれたが、恐縮した私は展覧会の会期が終わってから、澁澤さんの鎌倉のご自宅へその額絵を私自身でお届けすると約束をした。  以前、看板屋で手書きの地図を見ながら様々な所へ色見本を届ける仕事をしていたので気軽に訪ねたのだが、横須賀線の北鎌倉駅で下車して水路沿いに歩き円覚寺の裏手にあたる山の細い階段を登っていくと、突き当たりにアンティックなドアが目に付き、そのドアには悪魔の顔のブロンズ彫刻が取り付けられていて、大変驚いた。  奥様が玄関に出てこられ居間に通されて又ビックリした。様々なオブジェや額絵が飾られ、髑髏が真っ直ぐ私を睨んでいるように置かれてあった。オブジェ好きな私は思わずキョロキョロしてしまった。  澁澤さんの母堂も別室にいらっしゃったようだが、奥様に淹れていただいた美味しいコーヒーを飲みながら、フランスに行ったお話などを伺っていた。  その奥様とはその後も賀状のやりとりをしていて、愛犬で柴犬のボタンちゃんや白兎のウチャちゃんのことなどが書かれてあり、動物好きな私は親近感を持っている。  後年、鎌倉へ行ったおりに浄智寺の澁澤さんのお墓参りに二度ほど行った。澁澤さんは、とても誠実で優しくて謙虚な方だった。

「東西不思議物語」を描いていた時期は、不思議なことに海外からの仕事の注文が続いた。  ロックグループBULLFROGもそうだった。当時は東西ドイツが合併する前で、BULLFROGは西ドイツでは大変な人気だったそうだ。  LPレコードとポスターに私の絵を使っていただき、それをバンドメンバーのセバスチャンさんから送っていただいた。  現在でも当時の思い出を大事にしているファンが大勢いるようで、そんなファンのひとり、ウェブデザイナーのMr.Marco Jacobyから様々な内容の電子メールをもらい、当時のBULLFROGのアルバムCDが5枚も送られてきた。マルコさんとはその後もFacebookで交流している。  ロックミュージックというと、威勢のいい元気づけられる音楽と誤解していたが、独特のかすれ声のボーカルに哀調を帯びたサウンドが絡みつくような雰囲気の曲もあり、そのかすれ声が澁澤さんが歌っているような錯覚をして、私は魅了されてしまった。  そして、遠い異国に不思議な友人が出来たことを大変うれしく思った。

(つづく)

澁澤龍彦「東西不思議物語」(毎日新聞社)のカバーと毎日新聞掲載欄

1977sibusawa

 

 

 

 

1976.11.291977shibusawa 1976.11.29,Copyright(C)2013 AoiFujimoto.

 

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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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