人生の重みを知る

親とはまだ確執があったが、会社を希望退職した私の父が退職金から頭金をだすから同居しないかといってきたので、両親を金沢から呼び寄せた。

その青梅市の家で三人目の子供が生まれ、私は陽当たりのいい居間で赤ん坊をベビーバスで入浴させ喜びに浸っていたところ、しゃがんでいた私のズボンのお尻が濡れているような感じがしてお湯で濡れたかと思わず触ってみると、手に血が付いていた。   その時は、一日中椅子に座りぱなしの仕事のため痔疾になったのだろうと思った。  しかしその後、青梅市小作駅前の病院へ治療に行き、慶応病院から来ている肛門科の医師に診察室のカーテンの陰で、薄いゴムサックをした指で肛門を触手検査された結果、検査入院になってしまった。

検査入院は二週間にわたった。他の患者のベッドもたくさん並んだ大部屋で過ごすのだが、食事は他の入院患者と違っていて私は食事制限され、それも日を追うごとに、だんだん少なくなっていった。  そして、ついに絶食状態になったある日、診察室に呼ばれ看護婦さんに下剤と浣腸で大腸をきれいにされて、それから医師は私をベッドにうつむきに寝かせ、布団をまるめたものをお腹に抱え込むようにして、お尻を上に突き上げたポーズにさせ、バキュームのようなものを肛門に挿入して肛門からバリウムと空気を大腸全体に送り込まれ、レントゲン撮影された。ファイバーや内視鏡のない時代だったのだろう、

その後、看護婦さんにまた浣腸の処置をされ腸内腔のバリウムをトイレで全て排出した。その結果、厚生労働省指定の難病「潰瘍性大腸炎」と診断された。  この病気は、平成21年度の特定疾患医療受給者年交付件数によると、平成21年度の患者数だけでも、日本では約11万人もの方が苦しんでおられるという難病なのだ。

しかし難病と診断されても、私にはその病気に対しての知識が全くなく、ある日再び診察に行くと、医師が驚きの表情で私を見つめ、「よく生きていたな、しばらく来なかったので死んでしまったかと思っていた。『家庭の医学』などの本を読んで調べたか?」と訊ねられたが、自分の身体の事なのに仕事のことばかり考えているものだから関心が薄く、首を横に振った。  医師は「その方がいいよ」とだけ答えた。それから「仕事をやめてのんびり過ごすほうがよいのだが…」といわれた。

内心、私は冗談じゃない、生活出来ないじゃないかと思った。私が鈍感なのか、貧血状態になる以外は特に痛みなどはあまりなく、ただひどい下血で身体がふらふらして気力が湧かなかった。その他は便秘と下痢が交互にきて、すっきりしない気分だった。  検査入院の後に診察に通いながら座薬や飲み薬など、様々な新薬を生体実験するように出された。ある座薬を使った後で肛門が痛み、別の座薬を使ったら嘘のように痛みが瞬時に消えたことがあり、驚いた。  こんな病気になったのは生活の不摂生のためだと諦めて、気にしないように普段どおり家で仕事をするようにした。気にしても、どうにもならないことなので、彼女も特に気づかうような素振りはなかった。

ところが難病と知った私の両親は、この先私に頼れないと判断したのだろうか、金沢へ戻るから自分たちが出した頭金を返してくれといいだした。  それには、この青梅の家を売って返すしかないので、私は両親に再び見捨てられることになった。  今度は馬鹿なことはしなかったが、あの難病は私自身への危険信号だったのだ。人生は山あり谷ありで紆余曲折の道に立ち止まり、改めて自分のまわりをしみじみと眺めてみた。  この病気で気が弱くなっていた私だが、追い討ちをかけるように両親が去っていったのは内心ショックだった。でも、親の重荷もこれで軽くなったと考えるようにした。そして、自由業は病気になんかなっておられない、と自分で自分を励ました。

ただ平凡に流れ続ける日常に、大事な生きる意味が見えて来た。自分の身体を大事にしなければ、一番大事な人や家族を守れないし、仕事も出来ない。  健康のありがたさを痛感し、食事には気をつけ、激しかった飲酒や喫煙も控え、ストレスの溜まる無理な徹夜仕事も控えるようになった。

辛かった闘病生活で、人生観が変わり、人生の不思議を実感した。 そんなことがあって青梅の家を売り、千葉の牧場と畑ばかりが見える田園地帯へ転居したのが幸いしたのか、千葉では治療は全くせず、薬も飲まず仕事が忙しいこともあって、病気のことはほったらかしにしていた。病院へ行ったのは歯科くらいで、自分が難病であったことなど忘れてしまっていた。

(つづく)

筒井康隆「時をかける少女」角川文庫のカバーイラスト

1976kadokawa

1976kadokawa,Copyright(C)2013 AoiFujimoto.

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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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