私の子供たち

私の三人の子供達は私の仕事とは全く無関係な世界で生きている。しかし、その子供達に私の遺伝子を認めないわけにはいかない。妻は全く酒を飲めないのに、私同様に子供達は三人とも酒好きである。 私は、阿佐ヶ谷美術学園時代に学園祭でしこたま飲んでしまい、酔っ払って帰る時に電柱をよじ登り、友人の藤井くんに迷惑をかけてしまったそうで、後で友人達の笑い者になってしまった。 その藤井くんは下戸で、少し飲むと顔が赤くなり饒舌連発の後に急に寝てしまうのだが、私は飲むと益々無口になり顔も赤くならないのに奇行に及ぶそうで、私自身は何も憶えていないから無責任なことになり、深く反省してそれ以来は、たしなむ程度にしている。

車が日常の足になっている田舎暮らしの今では、“乗るなら飲むな”で外出先で飲むことはいっさいなく、夜もっぱら家でひとり酒をしている方が気楽でいい。子供たちと一緒に食事はするが、皆いつ運転しなければならないかも知れない辺鄙な生活圏なので、子供達と飲む機会は少ない。 私にとっては酒での失敗をしなくて済むようになり、健康のためにもなっていると納得している。そして子供達が、私のような酒の上での醜態をさらさなければと願っている。

私が二十歳のときに生まれた長女は大柄で、社交的でちょっと大ざっぱ、サービス精神が旺盛なさっぱりとした気性だけど、寂しがり屋のお天気屋で学生時代と現在も友達づきあいが活発なお人好しで人気がある。女子校卒業後は神奈川の相模原で美容師をしていたが、色々あって中学時代の同級生と結婚し、子供三人の母親になり、今は私の家のすぐ近く歩いて二三分の私の旧宅に住んでいる。

長男は私が世田谷に住んでいた時に生まれ、小さい頃は女の子のような可愛い顔をしていたが、成長するにしたがいヤンチャになり、手先が器用で性格は神経質な部分もある。 学校卒業後に凸版印刷へ就職したのに、遠い群馬の工場勤めを嫌って辞めてしまい、その後、外車BMWの会社に勤めている時に同僚の女性と結婚し、型破りな結婚式を私の友人の倉庫でとりおこなった。 女の子供二人ができて、工場勤めを何度か転職し、私の家から車で十五分くらいの隣町の住宅地に家を買い暮らしていたが、どういうわけか離婚し、嫁は子供ひとり連れて家を出て直ぐ再婚した。 息子はシングルファーザーになってしまい、その家から中学生の子供ひとりと愛犬を連れて夕食を食べに私の家に毎日通っている。

次男は私が青梅に住んでいた時に生まれ、子供の頃から比較的おとなしく、三人の子供の中では一番身体が大きいのに、なぜかテレビの心霊番組もマジで怖がる小心者で、金ばなれのいい未婚の自由人で私たち夫婦と同居している。 学校卒業後は浄化槽の会社へ就職し、その後は工場勤めに転職したが、今は坊主刈りの黒いスーツ姿で祭壇場内装飾のフラワーアレンジメントの仕事をしている。

子供三人共いつの間にか私より大きくなり、私は親元から早くに離れたが、私の子供達は気がつくと強制してないのに私の身近にいるようになっている。 私はというと、子供や孫から突然のように携帯メールで呼び出され、小中学の孫達の雑用でアッシーをして車で駆け回っている。 これも、私がいつも家にいて仕事をする在宅だから、頼りにされているのだと思っている。

私は出身地の金沢から出て東京から千葉へ住むようになり、私の親兄弟とは疎遠になってしまったが、私の子供や孫達とは携帯電話と車で繋がっているような奇妙な現在の心境である。 孫は長男の元嫁が連れていった女子高生に、その長男と一緒に住んでいる女子中学生に、長女の子供の女子中学生二人に、小学生の男子の五人がいる。 その孫達の雑用や自宅の買い物などで、週に四五回は車を運転し、仕事部屋から外へ出るが、孫たちも18歳になれば運転免許を取得できるので、私の運転手としての役目は不要になるから、何年間かは孫たちとの付き合いを楽しもうと思っている。

私は、家にこもって絵ばかり描いているような生活を子供のころから続けている変人だが、私の子供達はそのようなことはなく、一般的で普通な生き方なのでよかったと思っている。 会社勤めの全くない非常識な私は、子供達の何度も転職した仕事の話を聞きながら会社の人間関係のことなど、社会常識を勉強している始末である。

そんな日常から幸福をしみじみと感ずるのは、健康でも病気でも、仕事があってもなくても、お金があろうがなかろうが、心配してもどうにもならないことは心配せず、今自分が置かれた状況や人間関係をありがたいと感謝して、自分の心がけをよくして努力し、周りの人を愛し、日常のささやかな何気ない事柄に喜び満足しながら希望をもって毎日を生きることだと思っている。

私の子供達が、直接アートには関わらなかったことにまったく不満はない。それは、私の創造世界はきっと彼らの記憶のどこかに伝わっていると信じているからだ。

(本稿はこれにてひとまず終了いたします。つたないブログ文をお読みいただき、ありがとうございました。)

若い頃は否定的なことが多く想い出したくもなかったのですが、本年8月末から年末までブログに回想記を書かせていただき、感謝することが多く過去の確執から吹っ切れた肯定的気分になり、人生というのはかけがえのないものだと痛感いたしました。

そんな回想記に、書き下ろし文と様々な絵と写真などを追加して電子書籍「絵空迷宮」にしていただきました。

不二本蒼生の回想記「絵空迷宮」kindle版電子書籍  アマゾンのKindleストアで発売中→ http://p.tl/vuj1

eBook ESORA Labyrinth Aoi Fujimoto’s Autobiography Amazon・USA→ http://www.amazon.com/dp/B00GW192G4

年末ご多忙の折ではございますが、お体を大事にして良いお年をお迎えください。不二本蒼生

迷路パズル絵「寝子」

2001

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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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