悪魔

思い出の多いこの絵のことを書くのはイラスト仕事をしていて遅れてしまった。イラスト仕事は締め切り日に間に合うように早めに描くように心がけているので、アート制作を後回しにして当然イラスト仕事の方を優先する。イラスト仕事のことはメディアに出た後にはブログなどに書けるがアートの方は作品が完成しだい書けるので気楽だ。

ふた昔まえのこと、イラストレーターの宇野亜喜良さんから電話があり、モノクロ正方形サイズの悪魔のイラストレーションを依頼された。当時、宇野さんは光文社カッパブックスのカバーデザインもされていて、そのカバーイラストのための悪魔の絵だった。宇野さんは後進の育成に熱心な日本イラストレーター界の重鎮で私も何度かチャンスをいただき、その時も感謝を込めてアート紙にペンで細密に描かせていただいた。その絵を見て宇野さんは無言でちょっと驚かれたような表情でうなずかれたが、どのように思われたのか不安で聞きそびれてしまった。その絵が1988年に光文社KAPPA HOMES あなたを救う方位 滅ぼす方位「大殺方」翠 真佑・著のカバーになった。拙作の黒い悪魔絵の上に細い赤い線の吉凶方位図が重ねられデザインされていた。

その悪魔イラスト原画をフランスの画商が拙宅の作品保管庫から見つけ出してパリへ持って行き、画商が再び拙宅へ来た時にその悪魔絵の評判が良かったと私に語った。そのことが発端となり、この白黒の原画もカラー作品として再び描かなければと思った。古い拙作のイラストレーションがアートとして甦えると思うと、なぜか私の子供の頃に家にあった柱時計が脳裏に浮かんだ。断捨離を続けながらも古ぼけた時計を永いあいだ持ち続けていた意味が今になってわかったが、このレトロな時計は私の生家の大黒柱にあって父の言いつけで子供の頃に毎日ネジを巻いていた思い出がある。奇しくも父の日に亡父の思い出と重なるこの時計は私の子供時代が甦る悪魔絵の額となった。

私の少年時代には筋骨隆々としていた父が今もって私の心に鬼の形相で居座っているが、妻たちの評判は意外と悪くなく、義理の母からは強面の人やったが心はきれいやった、と言われたときに私は面食らった。私にとっては悪魔のような怖い父だったが見た目では判断できないということなのだろう。悪魔は宗教の仮想敵となり、キリスト教ではサターンやデビルまたはディモンといわれ神に反抗し、仏教では煩悩のことだろう。悪魔というのは必ずしも邪悪ではなく、固定概念にとらわれず自分で考え決める知性と本能をあわせ持つ存在なのだろうと考えるようになった。

「悪魔」キャンバスにアクリル サイズ(直径190mm円形) 2014年6月制作

2014.Devil
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aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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