【 Facebook Art Challenge 2日め 】●2015.04.16

 電話の音と共に運命が決まってしまった。二十代のあの頃は電話が鳴るたびに新たな依頼が入り、毎回テストされているような心持ちで自然と導かれていったような気がする。今では電話はセールス勧誘が多く、仕事はほとんどインターネットを通してデジタルで描き送信するので原画という物は存在しないが、原画にこだわり進路を定めた当時の記憶の忘備録になればと思う。
画家として自分が描きたい絵とイラストレーターとして依頼主のご要望に応える狭間でもがき、その両立の解決策として依頼されたイラストレーションをそれだけで完結させず、原画がアートになるように試行錯誤した時期だった。そのためイラストレーションをリトグラフ版画にしたり油彩で描いてみたが当然のことに一挙両得は困難で油絵は乾燥が遅く制作に時間がかかり合理的ではなかった。
それでも当時の原画は銀座ギャラリーデコールでの個展に展示し、全て手放してしまったが同時にイラストレーションにもなっていたので絵は印刷物として手元に残った。そして画家よりも生活のためにイラストレーターへと傾倒していくようになり、自分に与えられた現実を受け入れ、それに感謝して生きれば十分に幸せな人生だと悟った。

 2日めは次の作家に、受けていただけるかわかりませんが阿佐ヶ谷美術学園で先輩だった1こまマンガ家のウノ・カマキリさんをご指名したい。青春出版社の小澤和一社長さんとデスクの臼居孝行さんが青春新書プレイブックスのカバー絵の依頼で私が当時住んでいた世田谷のアパートへお越しになったとき、マンガ風のコミカルなイラストをご要望され私よりウノさんの方が適任の画風だと推薦させていただいた。

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 「黒死館殺人事件」 キャンバス・油彩
この絵は25才のとき1972年(昭和47年)講談社発行の「現代推理小説大系全20巻」の3小栗虫太郎「黒死館殺人事件」の口絵で、他にこのシリーズでは、4横溝正史「本陣殺人事件」、15仁木悦子「猫は知っていた」、2夢野久作「瓶詰の地獄」、5角田喜久雄「高木家の惨劇」、8海野十三「三人の双生児」、2大坪砂男「天狗」、のイラストレーション7点を描かせていただいた。

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 「胎動」 キャンバスF25・油彩
この絵は26才のとき1973年(昭和48年)芸術生活社発行の芸術雑誌「芸術生活」12点連載の内の4月号扉目次絵で、銀座ギャラリー・デコールでの個展の1ページ広告にも掲載された。この絵の元は『平凡パンチ』誌にイラストレーション作品「Sainte Nymphette」として描いた鉛筆画イラスト8点の内の1点の構想を更に描き進めて胎動する自身の心境を込めて油彩でカラー作品にした。制作当時は何の知識もなく無意識に描いていたのだが後年に怪魚口中の女神の両手が唯我独尊の印相だったことに後年気付き当時の意気込みに我ながら唖然とした。

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 「私の小悪魔」 キャンバスP10・油彩
この絵も同上の「芸術生活」12点連載の内の1973年6月号扉目次絵で、その後この絵は様々に発展し、1975年当時西ドイツ・フランクフルトの「Pardon」誌に掲載され、それをご覧になった西ドイツのロックグループ「BULLFROG」メンバーのMr.Sebastian Leitnerからオファーの手紙がきて、そのグループのLPジャケットやポスターになり、そのグループのファンだったMr.Marco Jacobyから電子メールでその絵のリメイクを依頼され41年後に再び制作し、過去と現代が交錯する作品になった。その他に当時は銀座ギャラリー・デコールでの第3回めの個展を開催したり、美術出版社刊「みずゑ」1975年12月号に美術評論家の故・日向あき子さんの文により拙作が掲載されたり、アートから抜けきれない時期だった。

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不二本蒼生  http://aoi.2-d/.jp

aoifujimoto について

1947年石川県金沢市生れ。69年平凡パンチ誌で8Pのイラストレーション作品掲載。73年芸術生活社の月刊芸術生活誌目次絵12点連載。75年に澁澤龍彦著東西不思議物語毎日新聞イラスト連載。87年集英社文庫カバー血の本シリーズイラスト連載。97年画文集怪物伝説白夜書房刊。02年富里市制記念親子馬の銅像デザイン制作。10年富里市案内板と27回トミサトスイカロードレースTシャツのイラストデザイン制作。個展13回。
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